a talk : entame: 2009年9月アーカイブ

entame: 2009年9月アーカイブ

丹野 章「撮る自由―肖像権の霧を晴らす」を読んだ。
ハービー・山口氏から薦めて頂いた本です。


丹野 章 (著)
2009年6月 発売
撮る自由
撮る自由


さて、写真を撮る行為というのは何でしょう?
写真を撮る行為それ自体は個人の目的でありますので、
なんら制限されるものでは無い。

要するに、本書が述べる自由の根底は撮る行為に制限はされない。
とのことだと思います。見える範囲は基本的に撮影可能。
但し、人物を撮影する場合はマナーが必要だね。
というのが本筋です。これらは明快に文章化されていますので、
写真家と言える僕ではないですが、共感できます。


ただ、本書にも明確に提言できていない、肝心の事。
それは公表についてですね。
写真を撮る行為は制限されるべきでもないし、肖像権の盾も弱い。
しかしながら、公表するとなると別ですよね。
僕の様なブログを主体に公表している人間は撮る行為=ブログへ。
という流れがごく自然です。
こうなってくると話は難しく、行き詰まります。

街中で個人の顔が特定出来る様なスナップ写真を撮り、
Webにアップした場合。肖像権というのはどうなるのだろうか?
もし、本人が肖像権を盾に掲載の中止を求めた場合は、
やはり中止するのだろうと思うけど、それは正しいのだろうか?

トレンドとか、風潮というのは、時代を追って変わります。
時代を追って変わるというのは、技術的な革新が大きいですかね。
技術が変わるとライフスタイルが変化するので、意識や法律の
改革が後手に回ってしまいます。
2009年現在ではその過渡期だと言えるかもしれません。


個人的な感覚ではこういった写真を撮り、公開する過程が、
どんどん窮屈になって行く世の中になるのだと思っています。
というのは、巨大マスや雑誌、展覧会などの範囲での写真公開と、
WEBでの写真公開では圧倒的にWEBが不利だからです。
不利というのは、一目に触れる母数の可能性というわけではなく、
コピーされて行くという不利さです。

今やPCやインターネットが詳しくない人でも、WEBに公開された
画像は誰でもコピー可能で抹消することを知っています。

コピーする行為そのものの恐怖や法律的な観点では無く、
コピーされることで、WEBに公開された画像は永遠に無くならない。
ということを心の何処かで危惧するのだと思います。


だから、撮られる側は警戒する。
何処の誰かが勝手に自分の写真を撮影し、WEBに公開した。
ある時、その写真は誰かのPCで閲覧された。
もうその時点で誰かのPCにコピーされていることになります。
撮影される側にとって不本意な写真の場合。
WEBに公開された時点で無限にコピーされる恐怖にさらされます。

仮にそのWEBを誰一人、閲覧することが無いかもしれませんが、
そんなことは撮られる側の心情には関係のないこと。


こう考えて行くと、やはり肖像権になるのか何なのか解らないけど、
写真を撮って、公開するというプロセスそのものに影響を与えますね。
僕は人を撮りたいのですが、なかなかそれに踏み込めません。
理由はこれまで述べた問題がクリアでないからです。

それは、芸術活動を行う者としてはとても愚の答えかもしれないけど、
今の僕にはダイナミックに心を解き放たれる法的な事例なり、
風潮なり、トレンドが必要なのかもしれません。


だから、まずはモデルを使用して撮影することを始め様かと思います。
こういった問題をディスカッションできる場があれば良いですね。

2015年7月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

Profile


音楽、ファッション、写真、Web、日記など気になることを書いています。

arikawa.com
Twitter

Googleアドセンス

アーカイブ